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労働法における法律行為


 20世紀の労働法は、強行法的労働者保護と団結権保障・協約自治によって契約自由の原則を修正し「合理的」な労働条件を確保することを中心的な使命として生成・展開してきた。21世紀、グローバル化と情報コミュニケーション技術革命を背景とする社会経済構造の地殻変動とそれに伴うポスト・モダンの社会状況は、法システムにとっても大きな変容の圧力となっており、「市民法と労働法」の関係、労働条件における合理性の確保は20世紀におけるそれとは異なる様相を呈し始めている。20世紀における労働者保護と団結権保障・協約自治による市民法の修正は、基本的に市民法原理を、法律及び協約等の集団的自治によって外部から枠をはめる形で行われてきた(労働契約に対する外部規律)。これに対して、21世紀の労働法・社会法による市民法の修正は、外部的に規律されながらもその中核部分は不可侵のまま維持されてきた意思自律をコアとする法律行為論の中に「合理性」の要素が組み込まれつつある。そして、これと相関して、強行労働法規のあり方に同意の存否が重要な役割を果たしつつある。

 山梨県民信用組合事件の最高裁判決は、労働条件の不利益変更に対する労働者の同意について、当該行為が労働者の「自由な意思に基づいてされているものと認めるに足る合理的な理由が客観的に存在するか」どうかを問題とした。賃金債権の放棄や同意相殺について、強行法たる労基法24条との抵触が問われたシンガーソーイング・メシーン・カンパニー事件等の先例とは異なり、同判決は、強行法規による規制から離れたところで、処分証書をもってする同意について、なおそれが自由な意思に基づくと認めるに足る合理的な理由が客観的に存在することを求めるものある。方式上は確定的に表示された意思について、その欠缺・瑕疵を主張できない場合にも、なおさらにその真意性について客観性・合理性の見地から規範的にスクリーニングをかける、というもので、これは民法における一般的な法律行為論の枠組みを超えた理解である。同判決に示された法律行為論は、強行法規範や集団的自治規範が機能しないケースにおいて、交渉力において劣後する個人たる労働者が、なおその等身大の意思自律を確保し、合理的な労働条件を確保する手掛かりを提供するものとして大変に興味深い。

 妊娠による軽易業務転換請求を契機としてなされた降格措置が、均等法9条3項に違反するかが争われた広島中央保健生活協同組合事件で、最高裁は、使用者の措置は、原則として同項の禁止する不利益取扱いに当たり違法、無効としつつ、「当該労働者が軽易業務への転換及び上記措置により受ける有利な影響並びに上記措置により受ける不利な影響の内容や程度、上記措置に係る事業主による説明の内容その他の経緯や当該労働者の意向等に照らして、当該労働者につき自由な意思に基づいて降格を承諾したものと認めるに足る合理的な理由が客観的に存在するとき」には、同項の禁止する取扱いに当たらないとした。シンガーソーイング・メシーン・カンパニー事件判決が引用されているものの、同判決とは異なり、本件における客観的な要件該当性は明白であり、これが労働者の承諾(同意)等によって、その違法性が例外的に阻却されるという構成になっていることから、当事者の同意による逸脱を認めない強行法ルールとの関係がよりダイレクトに問題化する判決となっている。広島県中央保健生協事件の最高裁判決は、その解釈について判例・学説の対立がある均等法9条3項について、客観的・合理的な真意性を前提とする意思自律を組み込むことで、複雑な法益状況に適合可能な柔軟性を付与しつつ、むしろそのことで柔剛一体的な強行法規範を確立した例と評価することができるのかもしれない。

 定額残業代が問題となったテックジャパン事件・最高裁判決においては、月180時間以内の労働時間中の時間外労働に対する時間外手当の請求権を労働者はその自由意思により放棄した、とする控訴審の判断を退け、シンガー・ソーイング・メシーン事件の最高裁判決を引用しつつ、こうした自由な意思に基づく意思表示はあったとは言えない、とした。

 定額残業代制度において明確な区分や対価性が求められるのは、単に労基法37条に定める割増賃金の計算可能性の前提だからというよりも、賃金計算と労働時間の相関を明確にすることで、賃金支払いを確実なものにし、かつ法定労働時間を超える時間外労働を抑制するという労基法24条及び同37条の趣旨に由来するのであって、それは事後的に(割増賃金計算の方程式に基づき)計算出来れば良いということにはならない。労基法37条の法目的の実現との関係において要請される(対価性を含んだ)明確区分性の要件は、むしろ労働者にとっての明確性としてこれを理解するべきということだろう。

 産業や職種、個別企業、労働者個人の具体的事情・法益状況の多様性に応じた労働条件決定については、労働協約や従業員代表による協定、あるいは個別の労働契約交渉によってなされるのが本来の姿ではあるが、日本では、労働組合運動及び従業員代表法制の未成熟、就業規則への過度の依存、使用者と労働者間のパターナリズム等を背景に、これら労使の自治規範に期待できる部分が諸外国のそれに比べて著しく小さく、労働者の権利保障においては、法律としての労働法規範に頼らざるを得ない現実がある。かくして労使の自治規範が機能不全の状況を呈するなかで、労働契約当事者間における法益調整に際して制定労働法規に対する大きなニーズが生じ、負荷が掛かる。他方、伝統的に、労働監督行政と罰則による硬質的・権力的な法の実効性担保が労働者保護法制の基本モードとされてきたことから、労働基準法をはじめとする労働者保護法の柔軟な解釈・適用が阻まれ、また複雑なステークホールダー間の利益調整の困難さから新たな労働契約立法は遅々として進まない。

 こうしたジレンマのなかで、労働者個人が、止むに止まれず裁判を通じて権利主張を行わざるを得ない状況がある。そして法の欠缺を前にして、裁判官が法の一般条項や類推適用、あるいは契約解釈によって権利救済を行うことを通じて、判例による労働法規範の創造が促されることになるのだが、判例による強行的ルールの創造には自ずと限界があり、その内容については一義的に明確ではなく企業社会における行為規範として期待できる部分も限定的である。逆に労働法規がすでに存在している場合でも、複雑化・多様化する法益状況の下で、裁判官が判決の影響を考慮し同法規の適用・違法評価に躊躇するケースも稀ではない。「自由な意思」における客観的・合理的側面を重視する上記三つの最高裁判例は、そうしたなかから絞り出されるが如く生み出された法理であり、それは21世紀の労働世界における法創造に重要な示唆を与えている。契約的な交渉・意思(合意)とそれを取り巻く客観的要素・強行法規を含む労働世界の法秩序との相互浸透の関係、両者の一元的把握が、今後の労働法における法律行為論の中心課題となるように思われる。

 ICT技術の進展とともに、今後ますます進行していく雇用労働のアウトソーシング、クラウドワーカー等の擬似的な自営業者・個人事業主の増大という事態の中で、労働法の適用範囲のグレーゾーンが増大し、あるいは労働法的規制が及ばない労務供給関係の増大が予想される。これら就業者・ワーカーについての法的保護の枠組みの検討は喫緊の課題であるが、制定法規による規制が実現していない現状においても、契約当事者が置かれた具体的な法益状況や交渉力格差に応じた意思自律・契約規制は必要かつ可能であり、むしろ成熟した立法を準備するためにも判例の蓄積が必要である。労働法における法律行為論は、労働法学と民法学にまたがる課題に対応する実践的な法理として進化してゆくことが期待される。

参考文献

米津孝司「労働法における法律行為(1)(2・完)」法律時報2017年9月・10月号

yonezu takashi
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