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浅倉むつ子先生古希記念論文集『「尊厳ある社会」に向けた法の貢献 ー社会法とジェンダー法の協働ー』序文


浅倉先生の古希記念論文集、宣伝をかねて序文を掲載します。



◆「刊行にあたって」

 浅倉むつ子先生が古稀を迎えられた。『「尊厳ある社会」に向けた法の貢献―社会法とジェンダー法の協働』とタイトルされた本論文集は、浅倉先生を敬愛する研究者および実務家総勢33名に加え、浅倉先生ご自身が早稲田大学における最終講義原稿を寄稿される形で刊行されるはこびとなった。


 浅倉先生は、1967年に東京都立大学法学部に入学されたのち、故沼田稲次郎教授(元東京都立大学総長)と籾井常喜教授が主催する労働法ゼミを選択し、浅倉先生が高校生時代から関心があった「婦人労働者の権利」についての研究に着手された。大学院進学後も、その問題意識は一貫していたが、当時の労働法学は、未だ女性労働の問題は周縁的テーマとみなす傾向か強かった。善意からの、また将来有望な浅倉先生ゆえのことではあったであろうが、先輩研究者からはテーマの変更をアドバイスされることが多かったという。しかし、女性労働問題に取り組むことこそが、浅倉先生にとって研究者たることのレゾンデートルであったことから、その後もテーマを変更されることはなかった。


 その後、二度の学会報告を経て、1984年には都立大学法学部講師、1987年同助教授、そして1991年には同教授となられた。このアカデミック・キャリアは、1979年の女性差別撤廃条約採択から1985における我が国におけるその批准と男女雇用機会均等法の成立・実施の時期とほぼ重なる。いわば時代が浅倉先生を必要としていたともいうことができ、それは青春期に芽生えた女性労働研究への先生の志が華開き実を結ぶ道程でもあったということができよう。


 浅倉先生の一つの研究上のターニングポイントは、1991年からヴァージニア大学・ロースクールにおける在外研究でのフェミニズム法学との出会いであった。以降、浅倉先生は労働法のジェンダー分析を精力的に推し進め、ポジティブアクションや間接性差別概念をはじめとする一連の研究は、1997年と2006年の均等法改正にも少なからぬ影響を及ぼした。そして、それらの研究活動は、労働法とその学に抜きがたく存在している「男性規範性」の克服を目指す「女性中心アプローチ」へと結実してゆく。誤解されることの多いこのアプローチについて、浅倉先生は、その要点を、自身の研究史を回顧した本論文集掲載の最終講義において、以下のように述べている。


 「労働法はそもそも近代法に対するアンチテーゼとして登場し、近代法が想定する『自由で平等な個人』という人間像が、現実といかに乖離しているかを認識し、そこから出発した学問である。すなわち労働法は、労働者を『他者』として排除していた近代市民法に対抗して、『労働者』に〈承認〉を与えたのである。ところが、労働法がここで包摂したのは、市場労働としての『ペイド・ワーク(有償労働)』の担い手、すなわち男性労働者であった。一方、女性は、他者のためのケア労働(家事・育児・介護などの労働)を担う存在として、労働法においては周縁的で補助的な労働者と位置づけられており、同時に、『労働する身体』と『産む身体』との矛盾の中で生きる存在でもあった。そのような労働法を見直すには、労働者モデルそのものを修正しなければならず、それが、ジェンダーに敏感な視座をもつ『女性中心アプローチ』である。」


 近代主義的な抽象的個人としての法人格像に対する批判的視点は、今日においてもなお有効である。“(性)中立”的な言説は、男性規範が支配的な法学の世界においては圧倒的な力(生権力)に回収され、無力化される可能性があったなか、浅倉先生のアプローチは正鵠を射るものであったと言えるだろう。それは、女性解放の法理論であると同時に、「『男性規範性』にとらわれて苦悶する現実の男性労働者の〈承認〉の理論」でもある。ここに我々は、浅倉先生が、我が国における社会法思想の正統な継承者であることを確認することができるだろう。


 かつて浅倉先生が指導を仰いだ沼田稲次郎博士は、その理論的な師である加古祐二郎の社会法理論を継承しつつ、「市民法の虚偽性」についての認識(イデオロギー批判)と、資本主義の「体制的被害者」である労働者の「人間の尊厳」の回復に向けた法解釈実践を行い、戦後労働法学に巨大な足跡を残した。浅倉先生の女性中心アプローチは、資本主義システムによって疎外された人間・個人の尊厳の回復という社会法思想を継承しつつ、20世紀から21世紀への過渡において人文社会科学における可能性のトポスとして浮かび上がってきたジェンダー問題を方法論的な視座として、社会法思想の新たな展開を試みようとするものに他ならないのである。


 以上のように、浅倉先生の労働法学は、強固な基礎理論的な了解の下で展開されてきたものであるが、それはけっして現実社会から遊離した机上の理論ではなく、むしろその学問的な真理性の洞察を、労働法の現場の担い手の規範意識と不可分のものとして把握しようと努力されてきた。そしてこれもまた正統的な社会法思想の方法態度に他ならないのである。そして浅倉先生の成熟した人柄と調整能力、言葉の正しい意味にける中庸的姿勢は、立場を異にする多くの人々からの信頼を獲得することになった。東京都立川労政事務所労政協議会委員を皮切りに、各種自治体、厚生労働省、人事院、内閣府等における数多の委員を浅倉先生は歴任されている。詳細は略するが、本書巻末に掲載された略歴からは、浅倉先生が、女性労働運動やこれを支援する弁護士実務家のみならず、立法者や行政担当者とも粘り強く対話を積み重ねてきたことが窺われる。


 「これまで『他者』として排除されてきたさまざまな人々の〈承認〉の理論」への飽くなき探究心は、浅倉先生をして、労働法学の枠組みを超えた学際的な研究活動へと向かわせることになる。浅倉先生は、労働法学会の代表理事の他にも、法社会学会、社会保障法学会、国際人権法学会、民主主義科学者協会法律部会等の理事を務められるとともに、連続4期にわたり日本学術会議会員に選出され、精力的に学際的研究の体制整備に尽力された。

 ジェンダー問題の社会的な認知のプロセスは、同時にこれに対するさまざまなバックラッシュとの闘いの歴史でもある。浅倉先生は、さまざまな逆風に抗しつつジェンダー視点を法学に定着させるための拠点となるべき学問共同体として、志を同じくする研究仲間とともに2003年ジェンダー法学会を立ち上げた。同学会立ち上げに参画した人々の思いとその熱量は、ほぼ同時期にスタートした法科大学院制度において、主要なロースクールにおける「ジェンダーと法」のカリキュラムとしての採用へと結実することになったのである。


 浅倉先生は、2004年に東京都立大学から早稲田大学へと籍を移された。その契機となった東京都立大学の組織改変をめぐる蹉跌は、都立大学を心から愛する浅倉先生にとって痛恨の出来事であった。浅倉先生は、早稲田大学に移籍されて以降、それまでにも増して人権保障と社会正義実現のためのさまざまな市民運動にコミットされるようになった。それは、上に述べた社会法の思想に由来すると同時に、大学の自治をめぐるご自身の痛切な経験に基づくものであろうと思われる。

 本古稀論文集は、全体四部をもって構成されている。「差別・平等と法」と題された第I部では、憲法と条約、雇用形態と均等待遇、性差別禁止などテーマが、第Ⅱ部の「雇用社会と法」では、雇用社会の基本原則・展望あるいはワーク・ライフ・バランス、第Ⅲ部「ジェンダーと法」では、性暴力と人権、性の自己決定と尊厳、家族と婚姻、そして第Ⅳ部では「ハラスメントと法」が論じられている。各テーマの第一人者、気鋭の論者による力作揃いの本論文集が、社会法とジェンダー法の協働を体現する学術書として、尊厳ある社会の実現に少しでも寄与できることを編者一同願ってやまない。


 21世紀第1四半期も終盤を迎え、世界はいよいよ激動の時代を迎えつつある。我々は、そうした時代に、多様な生を営む市井の人々一人ひとりの個の尊厳を守り抜く意志に支えられた浅倉先生の学問姿勢に学び、批判を恐れず、弛むことなく正義をめぐる語りを続けてゆく覚悟を新たにしたい。浅倉先生には、これからも労働法・ジェンダー法研究の第一線において活躍をされ、我々を叱咤激励してくださることをお願いしつつ、ここに古稀記念論文集を捧げたいと思う。

 2019年7月

刊行委員会を代表して

   米津孝司

yonezu takashi
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