京都市長選、家族の記録
(プロローグより)
今年も球根を植える季節になった。
チューリップの。狭い北向きの庭の一等地を50球のチューリップに贅沢に割り当てる。
私にとってチューリップの球根を植えることは無事に春を迎えるための祈るような儀式だ。
数年前まで私は精神的に必ずしも安定しない年月が続いていたので、太陽の光の乏しい冬は心細い季節だった。動けなくなるかもしれないのが怖かった。
そんな時、殺風景な庭の土に埋まった球根が春になったら芽を出す「はず」ということが私にとっては本当に大事だった。
「福ちゃん」こと弁護士福山和人、そしてそれは私の夫、が2018年4月あたまの京都府知事選、そして2020年2月あたまの京都市長選に挑戦した時の記憶は、常に私自身のチューリップへの意識と結びついている。
庭に植えたチューリップ。本当に芽が出るんだろうか。
そうSNSで呟けば
「大丈夫!咲かせましょう!大輪のチューリップを!」と選挙に被せたようなメッセージをお友達からもらい、「普通に庭の花の心配もできないのか」と苦笑するぐらい、私の身に起こることは常に選挙に結びつけられた。実際生活のほとんど全てが選挙中心に回っていた不思議な時間。
そしてどちらの出馬の時も
冬の間私の心の拠り所となってくれたチューリップは、春まだまだ遠く、芽の気配すらなく、または芽を出しても、花を見せてくれるまでに行きつくまでに、残念な結果を目撃した。
しかし春には
祭りが終わったような寂しさにぽつねんと立つ私の心に、庭のチューリップたちは明るい光を灯した。私は毎朝庭に出ては飽きず写真を撮り続け、しばらく熱心な「チューリップ教徒」となった。
その二つの選挙という非日常を過ごした時を思い返すと、真っ先に思い出すのは冬枯れの庭のチューリップ。春を待っていた心持ちの記憶。
最初の出馬の衝撃から約6年
あれからいろんなことがあった。
たくさんの人との出会いがあった。
今また球根を植える季節に
気がつくと
夫と「ふくふく家族」のメンバーは
またしても大きな人の動きのうねりの中に立っている。
夫が市長選に再挑戦するのだ。
投票日は節分の頃。
今回はきっと芽も間に合わない。球根は硬い土の中で、かろうじて「希望」の気配をにおわすだけで私を支えないといけない。
がんばれチューリップたち。
春になって
暖かい光の中
私たちはどんな景色の中に立つのだろう。
北向きの庭。
冬へと季節が転がり落ちる11月の終わりに
心細い気持ちで
このふくふく家族の数年間をふりかえる。
(つづく)
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