国際労働法社会保障学会に参加して
9月に南アフリカのケープタウンで開催された国際労働法社会保障法学会の第21回世界大会。キーノートスピーカーとして予定されていたケンブリッジ大学名誉教授ボブ・ヘップル (Bob Hepple)の突然の訃報に接したのは同総会の直前。組織委員会は、ヘップル教授の追悼イベントを開催した。先頃、その模様がウエッブにアップされた。
http://www.saslaw.org.za/index.php/islssl
https://www.youtube.com/watch?v=zcbY3twHRD4
ヘップル教授の薫陶を受けた労働法学者や友人のスピーチ。南アにおける反アパルトヘイト運動の闘士であり、マンデラら活動家を弁護士としてサポートしたヘップルは、難を逃れてイギリスに政治亡命し、その後アカデミックなキャリアを積むが、同時に正義実現の実践家としての旺盛な活動を止めなかった。
Simon Deakinケンブリッジ大学教授や Judy Fudgeケント大学教授の追悼スピーチを聴いていると、フーゴー・ジンツハイマー(彼もナチスから逃れフランクフルトからアムステルダムに亡命している)からその高弟カーン・フロイントを経てイギリスに伝えられ、ヘップル教授らによって実践された社会法思想が、今もなお脈々とイギリス労働法学に受け継がれていることが感じられる。「大転換」(カール・ポランニー)のプロセスがドラステイックな現れ方をしたワイマールドイツ、フーゴー・ジンツハイマーをはじめとする巨人達の学的営為によって、労働法は民法から自立し、独自の体系をもった法学分野として確立した。20世紀における労働法の学問としての自立は、それに関わった法学者達によるときの権力とのギリギリの政治的緊張のただ中から獲得されたのである。
21世紀、新たな「大転換」の季を迎えて、我々日本の労働法学徒は、改めて社会的現実のなかから法とその学が生み出されることの意味と、その場に立ち会う自らの立ち位置を省みることが求められるのかもしれない。自立した研究者としてなんらかの理論(テーゼ)を打ち立てることは、一つの賭けとしての側面をもつ。それがアカデミックコミュニーティーや体制に受け入れられるかどうかはわからないが、表現しないわけにはいかない何か、その何かに触れる体験の有無が、学問活動の質を左右する。とくにダイレクトに政治的な磁場に接近することを余儀なくされがちな労働法学においては、空気を読みながら足して二で割る「中立的」な学問スタンスは、結果としてブレが大きくなり、研究者として十分な成果をもたらさない場合が多い。
このことは、すでに名声を確立しているDeakin教授が、”Transnational Labor Law”をテーマとする分科会の報告において、世界的な金融危機の動向とワシントンコンセンサスの結末を論じ、労働法の生成にとっても決定的な意味をもった1930年前後の世界恐慌とニューデールを引き合いに出しつつ、現代労働法の基本原理に今や大きな変化が生じていることを示唆するチャレンジングな報告をするのを聴いたときに、改めてその思いを強くした。ちなみに同教授とは、大会中、偶然に昼食の席を同じくし、イギリス労働党コービンの勝利や東芝の不正会計に話題が及んだのだが、その政治的関心の広さ、オールタナテイブな潮流についての関心の深さに驚かされた。(とくに若手の労働法研究者の皆さんには、ビデオの35分あたりから始まる同教授のヘップル教授追悼スピーチを聴くことをおすすめしたい)。
国際労働社会保障法学会の総会への参加は、私にとってブエノスアイレス大会以来、十数年ぶり。ドイツ法および国内法の仕事に忙しく、また家族責任のために、遠方で開催される同学会から足が遠のいていたが、この間、同学会の雰囲気も良い意味でかなり様変わりしていることがわかった。新自由主義、資本主義、ポスト工業社会、ワシントンコンセンサス、グローバルノース(サウス)等、今の日本(ドイツも?)の労働法学会ではあまり耳にしない言葉がぽんぽん飛び交うのは新鮮な驚きであった。これは近年、世界の労働法学の議論が、社会科学としての自己認識を強めつつグローバル化問題を軸に行われていることによるものと思われるが、日本におけるややドメステイックに傾きがちな議論動向にも早晩影響を与えずにはおかないであろう。非正規労働者等の格差問題や労働者概念ほかの労働法の基本原理をめぐるゆらぎも、世界経済のグローバル化と日本資本主義の蓄積様式の変化に伴う現象であって(グローバルノース内におけるサウス化現象等)、グローバルな視点抜きには、有効な対処は期待できないのである。