top of page

あなたの街の図書館や保育園を、誰が支えているか

14 時間前
読了時間: 5分

更新日:2 時間前



――日本労働法学会ワークショップ「『非正規』公務員と労働基本権」を司会して



 


半分が「非正規」の役所

市役所の窓口、図書館、保育園、学童保育、学校。私たちが日々接する公共サービスの現場で、いま働いている人の多くが「非正規」の公務員だということを、ご存じだろうか。地方自治体で働く人のおよそ三割が非正規で、市区町村に限れば、その割合は半分近くに達する。実数で百二十万人を超える。公立図書館の職員の四人に三人、公立保育所の保育士の六割が非正規であり、しかもその四分の三が女性である。これは「よその誰か」の話ではない。私たちの暮らしを支える人たちの、足元が崩れている話である。

先日、ある学会でこの問題を正面から取り上げるワークショップが開かれた。二人の研究者が報告し、訴訟の現場に立つ弁護士たちも議論に加わった。筆者は司会を務めたが、ここでは一人の聴き手として、当日のやりとりを振り返ってみたい。


二〇二〇年、何が奪われたか

この問題を一気に法律の問題へ押し上げたのが、二〇二〇年に導入された「会計年度任用職員制度」である。任期は一会計年度――最長一年。翌年も働くには「新たな任用」とされ、来年も雇ってもらえるという法的な保障はない。そしてこの制度に移された職員は法律上「一般職の公務員」とされ、その結果、労働組合法が適用されなくなった。

それまで、図書館職員や相談員、外国語指導助手といった人たちの多くは「特別職の非常勤職員」として雇われ、公務員でありながら労働組合法が適用されていた。労働組合を作り、自治体と団体交渉をし、話がこじれれば労働委員会に救済を求めることができた。実際にそうやって労働条件を改善してきた実績もあった。ところが会計年度任用職員への切り替えによって、この三つ――労働組合、団体交渉、労働委員会――が実質的に使えなくなった。処遇の改善をうたった制度改革が、同時に、働く人たちが声を上げる手段を奪ったのである。


二つの報告――「外へ」と「憲法から」

最初の報告者、上林教授は、非正規公務員の実態を長く調べてきた研究者だった。専門性の高い仕事ほど非正規化が進んだことを数字で示したうえで、意外な提案をした。「労働組合の権利を返しても、それだけでは解決しない」。権利を返しても、雇止めを規制する法律は公務員に適用されず、そもそも非正規は組織されていない。むしろ、韓国のように非正規を公務員の枠の外に置き、普通の労働者として労働法で守る道を考えるべきではないか――。

二人目の報告者、早津教授は、憲法の問題を正面から問い直した。現行法上、正規と非正規とで労働基本権の制約に違いはない。にもかかわらず、制約を正当化する「身分が保障されているから」という理由は、身分の不安定な非正規には当てはまらない。「制約は一人前、保障は半人前以下」。報告者はそう言い切った。手がかりとしたのは、数年前のある最高裁判決である。交渉がまとまる見込みがなくなった後でも、誠実に交渉せよと命じうる――その理由は、交渉には「労使の対話を正常化する」というそれ自体の価値があるから、というものだった。ただ誠実に話し合うことまで、なぜ奪うのか。報告者は、半世紀来の議論を根っこから問い直す必要を訴えた。


現場から――ある訴訟

ここで議論は、生きた事件へと引き戻された。会場に来ていた弁護団が、外国語指導助手たちの訴訟を語った。毎年更新されながら働き、組合として交渉もしてきた人たちが、二〇二〇年に一夜で特別職から一般職へ切り替えられた。仕事は何も変わっていない。交渉を申し入れると、当局は中身に触れず「もう労働組合法が適用されない」という入口の理由だけで拒否し、労働委員会も門前払い。二人は職を失った。

弁護団は「八方ふさがり」を具体的に語った。雇止めされても地位確認の訴えは「任用は行政の行為だから」と阻まれ、来年も雇われるはずだという期待も「会計年度という名前がついた以上、一年限りと分かっていたでしょう」と退けられる。そして強調されたのは、団体交渉そのものの意味だった。ストライキまでできなくても、交渉を行い、拒まれたら労働委員会で回復していける――その仕組みごと奪うのは間違いだ、と。報告者が紹介した最高裁判決の「対話の価値」と、現場の訴えが、同じ一点で出会った。


半世紀の制度疲労と、大法廷の可能性

討論を聴きながら思い浮かんだのは「制度疲労」という言葉だった。公務員の労働基本権を制約する理屈には当初から無理があり、それを「代わりの救済があるから」「議会が決めるものだから」と継ぎ当てしながら半世紀繕ってきた。その継ぎ当てが、最も弱い非正規のところで一気に噴き出している。

やや専門的だが、避けられない見通しがある。公務員の労働基本権を大きく制約してよいという現在の枠組みは、半世紀前の最高裁大法廷判決によって作られた。これを正面から変えるには、ふたたび大法廷を開く必要がある。つまり、半世紀ぶりの大法廷判決が要る。この訴訟は、その入口に立っている。半世紀前の判決は、身分の保障された正規公務員がストライキ権を制約された事案だった。これに対し今回は、身分の保障もない非正規が、団体交渉と労働委員会という「対話と救済の仕組み」を立法で後から奪われた事案である。前提がまるで違う。運動の展開しだいでは、最高裁がこの古い枠組みを大法廷で見直す――そうした展開も、決してありえない話ではない。


むすびに

二人の報告者は一見対立していた。「外へ出せ」と「憲法から問い直せ」。だが最後まで聴くと、二人は同じ道のりの別の区間を語っていた。処遇をどう改善するにせよ、当事者が自ら要求し交渉する回路がなければ、改善はいつでも取り消されうる「お情け」にとどまる。逆に権利があっても、使う組合がなく交渉しても何も変わらなければ、絵に描いた餅になる。どちらが先かではなく、互いが互いの条件になっている。

会計年度任用職員は、私たちの地域の暮らしを、いちばん近いところで支えてくれている。その一人ひとりが「来年も働けるか分からない」という不安を抱えて働いている。この問いを解く道は一つではない。国の法律、自治体の条例、組合の運動、市民の声――それぞれの現場で、分散して、自律的に進んでいくほかない。だからこそ、それらを貫く憲法のレベルの筋道が要る。理論と運動、規範と現場の意識。その両方を行き来する視線の往復の中でこそ、この問いは実りあるものになっていく。

 
 
 

コメント


yonezu takashi
bottom of page