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職種限定合意と最高裁









一昨日の配転に関する最高裁判決。

判決は、職種限定合意がある場合、いくら合理性や解雇回避の必要性があっても、一方的な配転命令はできない、というそれ自体は既に判例・通説で確立した法理を確認したものに過ぎない。今回の判決が注目されたのは、ジョブ型雇用への注目というジャーナリスティックな筋の他に、理論的には、そもそもいかなる場合に「職種限定合意」が認められるのかについて、下級審が契約成立段階における明示的な職種限定合意がない場合にも、労働者の職業的資格と継続的な就労の事実から、職種限定合意の存在を認定し、最高裁がこれを追認した点にある。


最高裁は、自動車の機械工として十数年から二〇年就労していたケースにおいて機械工としての職種限定についての黙示の合意を認めなかった(1989年12月7日)。

今回、最高裁がこの先例を変更したとは俄には断定できないが、労働者の「ジョブ」を重視し、その特定職種業務の継続の事実と契約的合意をより密接にリンクさせる方向でのスタンスを許容したことは間違いない。こうした契約理解は、学説上は以前から有力で、私が提唱する信頼関係的合意の考え方とも親和的である。


本件では、障害児向けのバスチェア台車の改造を使用者から命じられた原告の技師が、安全性への懸念を理由にこれを拒否したことから使用者との関係が悪化したことが配転命令をめぐる背景にある。労働者のこうした職人としての誇りや責任意識が、裁判官の心証形成に影響した可能性も否定できない。この点は、ジョブ型雇用というテーマを考える際に重要な論点となるように思う。


上記の見方について、法律審たる最高裁は下級審の認定した職種限定の事実を追認したに過ぎず、法解釈論的な意義は乏しい、との批判もありうるだろう。しかし、自由な意思の法理に典型されるごとく、最高裁は、合意(法律行為)の解釈・認定を単純に事実問題とは考えておらず、むしろ法解釈問題と理解しているのであり、この批判は当たらない

yonezu takashi
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